
どうも、こんにちは。あず(@spice128)と申します。
このカテゴリーでは、私の脱落膜ポリープを発症した時の妊娠経過や調べたことをまとめています。


この先の妊娠経過がどうなるかわかりませんし、ショッキングな内容をお伝えする場合もあります。
精神的に安定している方のみご覧ください。
【脱落膜ポリープという初耳な診断名】

前回の投稿にあるように家事や外出は非妊時の時と同等に過ごしていました。
さすがにやりすぎたと思い、体調が戻るよう妊婦健診の日までの3日間、自宅で安静にしました。

妊婦健診ではいつものように「自宅安静ねー。」で終わると思いきや、

子宮内膜脱落膜ポリープやね。
さらっと医師に言われました。
その後も、

血が出てるのはこのせいやね。
安静にしといてねー
再度、念押しされました。
でも、そんな病名聞いたことないで!?
説明もなく、もう帰そうとしてる⁉ちょっと待って!

「っ先生、それなんすか?」
(てんぱり過ぎて噛んだなーとは思った)

手近にあった、ラミネートされた子宮の断面図に赤い水性ペンで図を描きながら説明してくださるも、病態だけ。
他にも質問したらよかったのだろうけど、もう何がわかっていないのかがわからないので困っていたら、

分娩施設は決めた?どこにする?
(このAクリニックは数年前にお産をやめたため、前回の妊婦健診で分娩施設を決めるよう言われていた)
このいきなりの診断名と転院の話は、私には急展開で置いてけぼり感をすごく感じました。
医師も業務を捌かないといけないとはいえ…。

B産婦人科にしようと思ってます。
けど、この状態で行けるんですか?

んー(難色)そこがいいの?

市民病院や他の大きな病院の方が私の状態ではいいんですか?
でも、できたらB産婦人科に行きたいんですけど。

じゃあ、B産婦人科の紹介状を書いときますね。
はい、次4Dね。

前の待合室でお待ちください。

後から大事になって転院することになりそうな病態ではないのかな?
相談して決めたかったのに私の希望だけでいいの…?
「行きたい産院の紹介状がもらえなかった」と過去にクレームでもあったんだろうか…。
不安な気持ちを表出する間もなく部屋の外へ放り出され、どうせ転院していく厄介者扱いされたような気がして悲しくなりました。
【脱落膜ポリープがあると流産するの⁉】

4Dエコーを待つため、待合室のソファーに座った瞬間からスマホで検索、検索…
第一子の時の切迫流産・切迫早産の診断がついた時は、医師から簡単な説明とともにA4の紙にまとめられた説明書をもらい少し安心できました。
しかし、今回の脱落膜ポリープはそれすらもなく、自分で検索しても個人のブログ記事だけ。
しかも、この時、流産・早産のブログ記事ばっかり拾ってしまい余計に混乱しました。
今後の経過やどんな症状が出るのか、気を付けることが何かわからず情報の少なさに不安でいっぱいでした。
本や論文、脱落膜ポリープ経験者のブログなどから、脱落膜ポリープの全体像を把握できるようにこちらの記事でまとめています。
上の記事にも載せている論文を拾った際に「流産・早産」「正期産」なら、半々の出産状況と知りました。
これを斜め読みしてしまい「あー、終わった。1/2の確率で私が殺してしまうんや」と思いどんどん思考は悪い方へ傾きました。

4Dエコーに呼ばれました。
「もう、エコーなんて…」「私が死なせてしまう子を見たって…」と思っていましたが、このエコーを受けられたことは本当に救いでした。
エコーを見ながら助産師さんと話す中で、

「元気やねー!ほら、こんなお顔!」
「手が顔に被さってきて見えなくなっちゃったね」
よくある健診の会話ですよね。
小さな胎児が元気に動き回る様子を見て、助産師さんが気持ちを肯定してくれる。
ここから、軽く不安表出も出来たことで、
「まだ大丈夫。ここで生きてる。きちんと元気に産んであげたい」
という気持ちが強くなりました。

自分の不正出血を少し、…いやだいぶなめ腐ってたな。
医師の安静指示の伝え方が甘いとはいえ、素直に安静にしようと受け取らなかったのは私だし、自己管理は当たり前だ。
医師に責任転嫁してる場合じゃない。この子は絶対に助ける。
【流産するかもと家族に伝える勇気】

私は帰宅してからすぐまたスマホで調べ始めました。
- 脱落膜ポリープ経験者のブログ
- 医師向けの文献
- 似たような感じの症状が多い子宮頸管ポリープ
このあたりのネット情報を読み漁りました。
しかもなぜかこの時、悲観的になるような内容(死産・流産)ばかり拾って読んでいたことを覚えています。

私の健診中に夫と息子は公園遊びに行っていました。
彼らが帰宅した時には、悲観的な情報ばかり集めてしまっていたので自分ひとりで抱えるには荷が重過ぎました。
院内を出た時は少し楽観的だったのに、帰宅後すぐで悲観的になっており、情緒は不安定でした。
公園遊びから帰ってきた2人へ、現在の状態を伝えることに。

「ごめん。赤ちゃん死ぬかもしれへん。ちゃんと産んであげられへんかも。ごめん」
言葉に出したら現実を帯びた気がして、ぼろぼろと泣けてきました。

ちょっと待って、手洗ってくるから。

玄関入ってすぐ聞く内容ではないな…。
なんかごめん。
このあと、不安で溜めてた気持ちをじっと聞いてくれた夫には感謝しかないです。

その後も、「安静が必要だけど、どの範囲が必要か医師に聞いていなくてわからないからずっと寝ていたい」と伝えました。
(医師と対面している時は、安静度の範囲がどれくらいかなんて気が動転していて気づけませんでした)
よって、炊事・掃除・洗濯・育児全部を夫に任せました。
私はずっと寝転んで、子どもの相手を軽くするのみです。
食事とトイレとシャワーだけ動いて一週間ほど生活していました。
夫へは、
- 「助けてくれてありがとう」
- 「二人の子どもなのだから当たり前だ!」
感謝の気持ちと、心配じゃないの⁉という攻撃的な気持ちがごちゃ混ぜの精神不安定な一週間でした。

そんな生活をしてる中で、心境の変化がきちんと起こっていたことに、ちょっと感心したりしていました。
キューブラー=ロスによる死を迎える患者の心理過程
1:否認 (そんなはずはないと強い否定)
東京アカデミー,オープンセサミシリーズ看護学1 専門基礎科目・基礎看護学・看護の統合と実践,2014,p206
2:怒り (怒りや憤りが表面化し、何事にも不満を抱く)
3:取引 (神や医療者に延命のための交渉を行う)
4:抑うつ (全て失ったという喪失感からの抑うつ状態)
5:受容 (自分の運命を受け入れる)
これは終末期の患者さんの心理過程です。
胎児も死ぬ予定ではないので、この心理過程を当てはめるのは気持ち悪いですが、7~11週目にかけておよそこんな感じで私の心理面は移行したなーと思いました。
次のお話はこちらから
今日も妊婦さんは頑張らないことが仕事!ゆっくり過ごしましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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